かとのぼのマイコード・マイライフ

個人開発者かとのぼのプログラミングと雑談のブログです。たまに読書と銭湯も

才能

私が個人開発を始めたのは1年半ほど前からですが、その時に初めてクリエイター的な活動を開始しました。いわゆる創作活動と言うのでしょうか?

そこから、クリエイターの人を観察したり行動を追うようになったんですが、何かを作る人がよく「才能がある。なし」を過剰に気にしていて、ちょっと自分とは考えが違うのかな?と思いました。

「売れたい」に才能はいるのか?

私に何か作ることに才能があるのか?と聞かれれば「ない」と言えます。

まず、クリエティブの根源的な欲求とか、その辺の才能がないからこの年までクリエイティブなことはやってきませんでした。

また、世界的に認められる天才の作品の良さが「なんか勢いがある!」程度の理解しかできませんから、自分は才能があるはずはありません。

じゃあ絶望する必要があるのか?と聞かれても「ない」と思っています。

なぜなら私は、一般の人に理解できないような傑作を作りたいのではなく、自分が作ったものが多くの人に使ってもらい、そして社会的な成功を得たいからです。

多くの人に気に入って使って欲しいなら、自分が良いと思うものと、他人が良いと思うものが共通する箇所を探していけば良いはずです。基準が明確ですし、測ることもできます。

それなら、才能が必要な割合はわずかではないでしょうか?

若くからその世界にいると才能という言葉に囚われるのではないか?

おそらく、こんな考え方をするのは私が歳を取ってから創作を始めたからだと思います。

多くの人が、

天才=>売れる、人気になる。

と考えている節があります。

けど、本来、天才であることは売れることの邪魔をするはずです。理解できる人間の母数を極端に削るわけですから。

もちろん天才の作品は素晴らしいはずなので、母数の拡大などを自分で調整したりできれば良いのですが、それができない訳で、協力者が大事になるのでしょう。ゴッホなら、弟のテオやその奥さんなどがそれに当たると思います。

話がそれましたが、もし社会的な成功が目標なら、個人開発でも絵でも何でも、「才能がある、ない」なんてしょうがないことで悩んでる場合じゃないぞ。と言うことです。

お知らせ

1月から平日毎日更新していた当ブログですが、3月以降はいったんお休みします。なので残りの記事は明日、明後日の金曜までです(もう書き終わっています)。

理由は、テコ入れしたいサービスがあってそちらの作業時間を増やすためです。

いつも読んでいただいてありがとうございます。

またしばらくしたら復帰するのでその時までしばらしお別れです。それでは。