携帯の着信音と当事者意識
着信音について考えてみた
最近ふと思ったんですが、みんな携帯の着信音に昔より寛容になった気がします。
もちろん、映画館とかマナーモードが前提の場所ではNGですが、電車とか、カフェとか、そう言う公共の場所でです。
私の言う昔は、着メロが全盛期の頃です。
あの頃って、電車とかカフェとかで着メロが鳴るとかなり嫌なムードになってました。
少なくとも僕は全然気にしないんですよね。
それで、理由を考えたんだすが、「慣れた」ではないと思ったんです。
だって、もし今Official髭男dismの「Pretender」を誰かがカフェで着メロしたら切れますもん。
当事者意識と想像力
それで原因は、着信音が自己主張しなくなったことと、みんな同じ着信音になったからではないかと思いました。
スマホになってから着信音がみんな同じになりましたよね?
そのため、もし着信音が鳴ったら、まず一瞬、「あれ?俺か?」と焦ります。
それで違う人の携帯だとわかって、ちょっと安心します。
この経験によって、公共の場所で着信音が鳴るのは自分にも起こり得ると「当事者意識」が芽生えると思うのです。
だから、他人の着信音に関しても寛容になるのかなと思いました。
何が言いたいかと言うと、人は当事者意識や、相手の立場を想像できると、寛容になるのだろうな。と思ったと言うことと、Official髭男dismってマジで書きにくいし、君たちのヒゲは毎日剃られて泣いているぞ?と言うことでした。
終わり。